伊勢店には、明治から後へも受け継がれていた多くのしきたりがあり、その中心になっていたのは神仏を崇うことであった。
神社への参詣は店の大事なしきたりの一つであった。そのうち、神田明神は店の氏神様として、店の者全員が参詣するのが例となっていた。
また、住吉神社と王子稲荷へは代参が立てられ、交代で参拝した。
住吉神社は海の守護神で、船便に頼る問屋たちが崇敬する神社であり、王子稲荷は砂糖問屋仲間太々講にゆかりの社であった。
近所にはえびす講でなじみ深い宝田神社があった。
一方、仏教への信心も篤かった。店の二階には仏間が設けられ、小津家代々の先祖を祀っていた。
専任の仏関係がいて、朝は燈明をあげて拝むのが役目であった。毎月八日は「八日(ようか)さん」といい、先祖を祀る日であった。
その日の食事は精進(ひりょうず)と決められていた。
毎月二十三日は当番が決められ、奉納の品をもってお寺に代参するのが恒例となっていた。
店に神棚を飾り、仏間を設けて祖先を祀るのは、震災後の新しい店舗でも変わることなく守られていた。
江戸時代からの物故店員の墓は深川清澄町(江東区清澄三丁目)の本誓寺にあって、墓碑には「小津三店先亡之諸霊位」と刻まれている。
ここには中途で死去した店員だけでなく、無事に勤めあげた人たちの分骨も故人や遺族の意向で合祀されている。
春秋の彼岸やお盆と暮れには香華を手向け、とくにお盆には全社員が参詣する。このしきたりは小津グループに継承され、今日も続いている。
また、大事な行事のひとつとして掟の読みあげもあった。正月等の参会の席で全員に読み聞かせた。
正月十五日と盆のやぶ入りは店員待望の日であった。この日は新しい着物と小遣いが与えられ、自由に時間が使える唯一の休日であった。
そして半紙十帖が与えられるのが例になっていた。
大正十年(一九二一)ころからはしだいに休日が月に一回になり、いろいろなしきたりも関東大震災後は大幅に変わった。
店員にとって休日が月一回となったのは大きな喜びであった。第一と第三の日曜がそれに当てられ、交代で休んだ。
休日には二円の小遣いが渡される。
店員はすべて伊勢出身であったから、ほとんどの少年店員たちは浅草へ行って映画を見、食事をし、おしるこを食べ、一日を楽しむのが普通であった。
店に帰ると子供衆頭(おかしら)に小遣いの残額を報告する。
使い方はほどほどがよく五十銭を残して帰るのが少年店員の才覚であった。