戦争は終わった。しかし、紙商小津が本来の姿を取り戻し、紙の販売を本格的に再開したのは、終戦から一年余りを経た昭和二十一年(一九四六)十一月の統制解除からであった。
それまでは不本意な日々であった。
終戦直後の小津の体制は合資会社小津商店を柱に、戦時中に設立した小津産業株式会社があった。
小津商事株式会社は当局の意向もあって、昭和十九年(一九四四)に「小津産業」と商号変更している。
鱗商店は戦時中に日本ハップに譲渡した。後に木村産業となる。
いよいよ統制が解除されることとなったとき、小津商店はその営業部門を小津産業株式会社に移し、和洋紙の販売を推進する体制がとられた。
「商権が戻ってくる。商売が自由にやれるのだ」と、燃えるような意気込みで新しい体制を固め、商売に臨んだのである。
紙商小津のよみがえりであり、新しい時代に向けての発足でもあった。
これより先、小津では終戦後ただちに商権復活の運動を率先して開始していた。
戦時中に和紙業界同志とともに結成した「温古会」仲間で、商権復活を決議するなど、広い活動を行っている。
小津の再会は一からの出発といってよかった。幸い、そこには紙商小津の無形の財産ともいうべき商権があり、得意先の信頼と愛顧が変わることなく存在していてくれた。
そして復員し、あるいは疎開先から復帰してくる社員、それに店を守ってきた責任者たちがいて、多くの制約を受けたものの、しだいに商売を広げていくことができた。
社会に和紙への理解を求めて起こした活動に「全国和紙振興会」があり、日本書道連盟や日本学生書道連盟を支援し、和紙のよさを知らせる運動を進めていたが、そうした運動の主唱者の一人となり、また辰巳会の結成と活動にも力を尽くした。
こうした活動は紙商小津の和紙への深い思いから出たものであった。
小津商店と小津産業の活動は年々拡張され、小津グループへと発展していく。それは復興から高度成長へと堅実な道を選んできたといえよう。
いま、小津グループは新しい技術革新も取り入れつつ、発展の途上にあるので、その活動は略述にとどめるが、そこにはいくつかの挿話も生まれている。